正確な訳語かどうか、それも忘れてしまったのですが。
アメリカの評論家がいいだした言葉......だったと思います。D&D汚染。D&Dとはもちろん『ダンジョンズ&ドラゴンズ』に他なりません。
その評論家の、『D&D汚染』という言葉の趣旨はこうです。
(アメリカの)文学におけるファンタジーの意味合いが変質してしまった。それはD&Dによるものである。
D&D以前のファンタジーでは、魔法は極めて謎に満ち、不可思議でとらえがたく、一定しないが故に魅力的なものだった。
しかし、D&Dに汚染されてからは、魔法は単なる技術に成り下がってしまった。呪文を知っていれば誰でも使えるものに過ぎない。それは科学技術を魔法に置き換えただけだ。登場人物に魔法が使えるか理解出来るかはともかく、読者は皆、魔法を一定の法則に基づくひとつの技術に見るようになってしまった。そこには謎も不可思議もワンダーもない。ファンタジー作品は、D&Dに汚染されてしまった。
まあこんな主旨だったと思います。
いわんとすることはわかります。似たような現象を感じることもあります。
とはいえ、私は最近の欧米ファンタジーはほとんど読んでいないので、本当にこの評論家が言っていることが本当なんだかどうだかはわかりません。最後に読んだのは「ランドオーヴァー」の5巻ぐらいかなあ。あれ、最終巻だっけ?
日本でも似た現象は起きています。ドラクエ以前と以後というか。例えばあしべゆうほ、紫堂恭子と言った少女マンガ系のファンタジーマンガと、最近のラノベのライトファンタジーは、まったくもって魔法に対する扱いが違います。
そういえば八ッ繁さんが嘆いていたっけ。最近のラノベ応募作は安易に「レベル」「ステータス」「能力値」などと言ったゲーム的な用語を使っていると。もちろん、電脳世界に囚われたSAOやログホライズンみたいなのではない、普通のファンタジー世界であるはずなのにそういった単語が出てくるという。
『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか?』がそういったゲーム用語が普通に飛び出してくるラノベの走りのひとつだったと思うのですが、あれは多分にそれを使うことによって一種のギャグというか、こういうお約束ワールドですよと示す意味合いがあったと思うのです(幕末っぽい世情設定の『銀魂』が流行言葉や最新ギミックを出すようなものですね)。ですが、この作品がヒットしたために、そういうのを普通に小説に出していいモノだと勘違いしたラノベ作家志望者が続出している......とまあ、こんなことを八ッ繁さんが言ってました。
似た現象ですが、私はこのふたつは若干違うと思うのです。順々に説明しましょう。
まずアメリカのD&D汚染についてですが。
「汚染」という言葉の選び方に悪意が感じられます。くだんの評論家は明らかに、そういったD&Dに影響を受けた作品が嫌いだし、またそれ以前の魔法がワンダーだった頃の作品こそが素晴らしい(ものが多い)と言っています。
それって、単に個人の趣味じゃないですかねえ。
趣味に合わないファンタジー作品が増えたのを、まるで質が低下したかのように言い換え、嫌悪感を掻き立て第三者的価値観を有する「汚染」という言葉にすり替えて、自分の価値観を正当化しようとしているようにしか思えません。
たしかに、昔の魔法のようなワンダーはないけど、理屈に合わないご都合主義を魔法という言葉で解消するようなことも無くなったわけで。
もちろん、魔法にワンダーがあるファンタジー小説も面白いけど、ゲーム的に魔法に一貫性のあるテクニカル魔法のファンタジーもおもしろいものがあります。要するに、作品のレベル(質ではなく、ね)と作品内の魔法の扱いに客観的な相関関係はなく、いい作品とつまらない作品、好みの作品と嫌いな作品があるだけだ、と思いますね。
一方、日本のコンピュータRPG「汚染」ですが(アメリカの現象と対応させるため「汚染」という言葉を使わせてもらいますが、本来この言葉に付随するマイナスイメージはちょっと棚上げにしておいてください)。
基本的にはアメリカのD&D汚染と同じように考えたい自分がいます(つまり、所詮は個人の趣味の問題に帰結することである、ということです)。
ですが、どうしても「安易に」、ちょっと考えれば不自然な自分の客観的評価である「パラメータ」類を知っているというのを平気で使ってしまう神経はなんだかなあ、と思わないではないです。
歴史小説で、主人公たちが近代以降の価値観や完成で動いているのを見ると、結構うんざりします。
それと同じ印象を、安易にパラメータ類の単語が出てくる小説には感じてしまいます。わかりやすいと言えば言えないけど、それは作者が手を抜いているだけなのでは? と。
私、ほら、細かいところまで気を使った作品が好きですから。こういう、考え無し安易な態度は気に入らないのです。
まあ、それでも自分の趣味の範囲でしか言いません。
(そういう安易なことをしている作品が生き残ったり作者が評価されるようになるとはとても思えないけどね)
八ッ繁さんは仕事でそういった作品をたくさん読まなくてはならないので、それはかわいそうだなとしか。
私は日本のコンピュータRPG汚染は一時的な現象だと思っています。正確に言うと、ゲームっぽいファンタジー世界は一時的なものではないけど、客観的メタ的な「レベル」「能力値」と言った言葉を安易に使う作品の増大は一時的な現象だと。だから、汚染という言葉は本来使いたくないです。ここではアメリカと対称形にするために使いましたけど。
まあ、なにごとも徐々に変わっていくものです。そして、古い作品から良い悪い、流行り物だから良い悪いなんてことは本来的にはないものだと思いますよ。はい。
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